『キリスト者の自由』宗教改革の立役者ルターの思想
こんにちは。最近、哲学に興味を持ち始めた哲太です。「それって言う必要がありますか?」が口癖のくせ者です。
さて、私たちの住む現代社会は、実は500年も前の一冊の本から大きな影響を受けていることをご存じですか?
その本こそが『キリスト者の自由』。
たった50ページほどの小さな本が、なぜ世界の歴史を変えることができたのでしょうか。
今回は、著者マルティン・ルターの思想と、彼が起こした宗教改革について、できるだけわかりやすくお伝えしていきたいと思います。
マルティン・ルターって誰? 〜宗教改革の立役者〜

皆さんは、スマートフォンで写真を撮って、すぐにSNSにアップロードできる現代の自由さを、当たり前だと思っていませんか?
実は、この「個人の自由」という考え方を広めるきっかけを作ったのが、マルティン・ルターなのです。
ルターは1483年、ドイツの小さな町アイスレーベンで生まれました。
現代で言えば、地方都市の鉱山で働く一般的なお父さんの元に生まれた少年が、世界を変える大きな一歩を踏み出すことになるのです。
当時のヨーロッパでは、カトリック教会が絶大な権力を持っていました。
今で言えば、政府とメディアと教育機関を全部合わせたような存在です。
その中で、ルターは法律を学ぶ優秀な学生でした。
しかし、ある日の雷雨の中での出来事が彼の人生を大きく変えることになります。
突然の雷に打たれそうになった際、ルターは「助かったら修道士になります」と神に誓いを立てました。
その誓いを守り、彼は修道院に入ることを決意したのです。
これは、まるで今の時代で言えば、一流企業に内定していた大学生が突然、僧侶になることを決意するようなものでした。
人々は驚きましたが、ルターの真摯な姿勢と優れた能力は修道院でも発揮され、やがて神学教授にまで上り詰めます。
ちょうど、会社で言えば平社員から重役になっていくような感じでしょうか。
しかし、神学教授になったルターの目に、ある大きな問題が飛び込んできました。それが「贖宥状(しょくゆうじょう)」、別名「免罪符」という、一枚の紙切れでした。
なぜルターは怒ったの? 〜贖宥状(免罪符)問題〜

「この紙を買えば、あなたの罪は全て許されます。天国行きが約束されますよ」
現代に置き換えると、こんな感じでしょうか。
「このお守りを買えば、すべての悪いことが帳消しになります。しかも来世は億万長者として生まれ変われますよ」
もしこんな話を聞いたら、誰でも「怪しい!」と思うはずです。
でも、当時のヨーロッパでは、このような贖宥状がカトリック教会の公認で売られていたのです。
なぜこんなことが可能だったのでしょうか。
それは、当時の人々が「罪」というものをとても恐れていたからです。
たとえば、現代でいえば「借金」のようなものです。
借金は返さないと利子がついて増えていきますよね。
当時の人々は、罪も同じように「返さないと増えていく借金」だと考えていました。
しかも、この「罪の借金」は死んでも消えないと信じられていました。
返し切れなかった分は「煉獄(れんごく)」という場所で苦しみながら返していかなければならない……そう教えられていたのです。
想像してみてください。
もし「このままだと死後、何千年も苦しむことになりますよ」と言われたら、誰でも怖くなりますよね。
そんな時に「この紙を買えば全部チャラになります」と言われたら、飛びつきたくなる気持ちもわかります。
特にドイツでは、この贖宥状が大々的に売られていました。
なぜならドイツの人々は、当時のカトリック教会の公用語であるラテン語が読めなかったからです。
つまり、聖書を読むことができず、教会の言うことを鵜呑みにするしかなかったのです。
これは現代で言えば、法律や契約書が全部外国語で書かれていて、「この契約書にサインすれば幸せになれます」と言われても、本当にそう書いてあるのか確認できない……。
そんな状況だったのです。
当時のカトリック教会のトップ、ローマ教皇レオ10世は、この状況を利用しました。
サン・ピエトロ大聖堂という巨大な教会を建てるために、大量の資金が必要だったのです。
現代で言えば、新しい本社ビルを建てるために、怪しい商品を売りつけるような感じでしょうか。
ルターはこの状況を見て、激しい怒りを覚えました。
なぜなら、彼は神学者として聖書を読むことができ、「罪を許すことができるのは神様だけ」と書かれていることを知っていたからです。
「これは詐欺です! 人々を騙して、お金を巻き上げているんです!」
当時のカトリック教会の様子を見てみましょう。
豪華な宮殿に住み、贅沢な暮らしをする聖職者たち。
一方で、聖書には質素な暮らしをしていたイエス・キリストの姿が描かれています。
この大きな矛盾に、ルターは我慢ができなくなりました。
『キリスト者の自由』はどんな本? 〜誕生の背景〜

1517年10月31日、ルターは重大な決意をします。
ヴィッテンベルク城教会の門に、「95カ条の論題」という文書を貼り出したのです。
現代で言えば、会社の不正を告発するブログを立ち上げるようなものでしょうか。
この文書の中で、ルターは贖宥状の問題点をくわしく指摘しました。
たとえば、「お金を払えば罪が許される」という考え方は間違っているということ。
また、教会が贖宥状を売って私腹を肥やしているのは、本来のキリスト教の教えに反するということなどです。
この行動は、インターネットで情報が瞬時に広がる現代以上の衝撃を持って、ヨーロッパ中に広がっていきました。
なぜなら、ちょうどその頃、画期的な新技術「活版印刷」が発明されていたからです。
活版印刷は、現代のSNSのような役割を果たしました。
それまで本は一冊一冊手書きで作られていましたが、活版印刷のおかげで大量の本を短時間で作ることができるようになったのです。
これにより、ルターの主張は爆発的な勢いで広がっていきました。
そして1520年、ルターは『キリスト者の自由』を書き上げます。
なんと、わずか1週間あまりで書き上げたと言われています。
現代で言えば、会社の不正を告発した後、その真相と改革案をくわしくまとめた本を一気に書き上げたようなものでしょう。
この本は、岩波文庫で50ページほどの小さな本ですが、その影響力は計り知れません。
なぜなら、この本の中でルターは、それまでの常識を根本から覆す主張をしているからです。
たとえば、「教会の儀式や聖職者は必要ない」という驚くべき主張です。
当時の感覚で言えば、「会社に出勤する必要はない。社長や上司の指示も必要ない。自分の信念に従って仕事をすればよい」と言うようなものです。
さらにルターは、聖書をドイツ語に翻訳する大きな仕事に取り組みます。
これは現代で言えば、難しい法律や規則を、誰にでもわかる言葉に翻訳するようなものです。
それまで一般の人々は、ラテン語で書かれた聖書を読むことができませんでした。
しかし、ドイツ語訳のおかげで、多くの人々が初めて聖書を直接読むことができるようになったのです。
この翻訳作業は、命を狙われて潜伏している間に行われました。
辞書も参考書もない状態で、たった2ヶ月半という短期間で新約聖書の翻訳を完成させたのです。これは、まさに命がけの仕事でした。
この翻訳のおかげで、多くの人々が初めて聖書の内容を知ることができました。
すると、人々は驚愕の事実に気づいたのです。
「あれ? 聖書のどこにも『贖宥状を買いなさい』なんて書いていない!」
「イエス・キリストは質素な暮らしをしていたのに、今の教会の人たちは豪華な暮らしをしている!」
これは現代で言えば、会社の規則を初めて読んでみたら、上司が勝手なルールを作って社員から不当にお金を集めていたことが発覚したようなものです。
まとめ 〜ルターが残した大きな影響〜
ルターの行動は、その後の世界に大きな影響を与えました。
カトリック教会から分かれた新しい教派「プロテスタント」が生まれ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、スイス、イギリス、アメリカへと広がっていきました。
そして何より大きな影響は、「個人の自由」という考え方を広めたことです。
「神様と直接つながることができる」というルターの考えは、「一人一人が自分で考え、判断する」という現代の価値観の源流となりました。
たとえば、今では当たり前になっている「自分の意見を自由に発信できる」「自分の信じることを自由に選べる」という権利。
これらは、ルターの思想がきっかけとなって広まったものなのです。
ただし、この自由には責任も伴います。
ルターは「自由だからといって、なんでも好き勝手していいわけではない」とも説いています。
現代で言えば、SNSで自由に発言できるけれど、その発言には責任が伴うようなものですね。
この小さな本『キリスト者の自由』は、500年以上前に書かれたものですが、その主張は現代にも通じる普遍的な価値を持っています。
「個人の自由」「自己責任」「権威への疑問」という考え方は、今を生きる私たちの生活にも深く根付いているのです。
【参考資料】
「新訳 キリスト者の自由・聖書への序言」
世界のエリートが学んでいる 教養書必読100冊を1冊にまとめてみた(KADOKAWAオフィシャルサイト)
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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」の哲太が執筆しました