物自体とは? 考える力から始まるカント哲学
こんにちは。最近、哲学に興味を持ち始めた哲太です。「それって言う必要がありますか?」が口癖のくせ者です。
前編では、私たちが見ている世界は「ありのままの現実」ではなく、人間の感覚や理性のしくみを通して整理された世界なんだ、というカントの考え方を見てきました。
世界はそのまま見えているわけではなく、私たちの頭の中にある「型」を通して見えているんです。
この視点に立つと、ヒュームが指摘した「因果関係は感想にすぎないんじゃないか」という不安も、別の形で整理できるようになります。
では、次に浮かんでくる疑問はこうです。
もし、人間には認識できない世界があるとしたら、私たちは何を頼りに生きていけばいいんでしょうか。考えられないことがある世界で、人はどう行動すればいいんでしょうか。
後編では、カントがこの問いにどう答えたのかを見ていきます。
テーマは、「物自体」という考え方と、人が守るべき行動のルールです。
前回のまとめ
カントは、ヒュームの問いを否定せず、人間の理性には限界があることをそのまま受け入れました。その結果、世界が不安定になるのではなく、むしろ思考が安定する道が見えてきたんです。
それが、「人間は、認識できる範囲で世界を理解している」という考え方でした。
前編では、人間の認識のしくみまでを扱いました。
後編では、その認識の限界を踏まえたうえで、カントが示した「どう生きるか」という答えに進みます。
人間には認識できない世界がある

「物自体」という考え方
カントは、人間の認識の限界の外側にある世界を「物自体」と呼びました。少し聞き慣れない言葉ですが、考え方そのものはとても素直なんです。
私たちは、物を空間や時間の中で感じ、理解しています。机の上にリンゴがある、太陽が東から昇って西に沈む、というような形で世界を捉えています。
でも、空間や時間そのものを取り除いた「本当の姿」がどうなっているのかは、人間にはわかりません。音がまったく聞こえない世界や、色がまったく見えない世界を、完全に想像することができないのと同じです。
カントは、空間や時間を超えた世界も、それと同じように、人間の理解を超えていると考えました。そして、その「わからないもの」を無理に説明しようとすること自体が、混乱の原因になると言ったんです。
答えが出ない問いに区切りをつける
人類は長いあいだ、「世界には始まりがあるのか」「神は存在するのか」「死後の世界はあるのか」といった問いを考え続けてきました。どれも大切な問いですが、理性だけで答えを出そうとすると、必ず行き詰まってしまいます。
カントは、ここで思い切った判断をしました。
これらは「まだ答えが出ていない問い」ではなく、「そもそも人間の理性では答えを出せない問い」なんだ……と、考えたんです。
たとえば、「地球の外側には何があるのか」と聞かれても、私たちは地球の外に立って確かめることができません。
なぜなら、質問そのものが、人間の立場を超えているからです。
カントは、こうした問いに対して、理性を使うのをやめようと言いました。それは、逃げるためではなく、無理な使い方をやめるためだったんです。
認識できる世界に集中する
ここで大事なのは、カントが「考えるのをやめろ」と言ったわけではない、という点です。カントが言いたかったのは、「考えられる範囲に集中しよう」ということでした。
人間には、人間として理解できる世界があります。その世界の中で、どう考え、どう行動するか。
そこにこそ、理性の本当の役割があると、カントは考えたんです。
これは、危険な場所と安全な場所がはっきりわかる地図を持つようなものです。危険な場所に無理に踏み込まなければ、安全な範囲で、安心して行動できます。理性の限界を知ることは、思考を縛ることではなく、思考を守ることだったんです。
カントが示した「行動のルール」

理性は「どう生きるか」に使う
『純粋理性批判』で人間の認識の限界を明らかにしたカントは、次にこう考えました。
では、理性は何のためにあるんだろうか。
カントの答えは、とてもはっきりしています。
理性は、「どう生きるか」を考えるために使うものなんです。
世界の成り立ちを完全に説明することはできなくても、人としてどう振る舞うべきかを考えることはできます。そして、その問いには、答えを出す必要がある。
ここから、カントの倫理学が始まります。
「自分ルール」は通用するか
カントは、人の行動には必ず「自分なりのルール」があると考えました。
これを「格律」と呼びます。
たとえば、「バレなければ嘘をついてもいい」「自分が得をするなら少しくらいズルしてもいい」という考え方も、一つの自分ルールです。問題は、そのルールが本当に正しいかどうかなんです。
カントは、ここでとてもシンプルな問いを立てました。
そのルールは、すべての人が使っても大丈夫だろうか。
もし全員が「バレなければ嘘をついていい」と考えたら、誰の言葉も信用できなくなります。
そうなると、社会そのものが成り立たなくなってしまいます。つまり、そのルールは、自分だけに都合のいいものなんです。
「定言命法」という考え方
カントは、行動の基準として「定言命法」という考え方を示しました。少し難しく聞こえますが、言っていることはとてもシンプルです。
条件付きではなく、いつでも守れるルールかどうか。
それが、道徳的に正しい行動かどうかを判断する基準なんです。
「褒められるなら頑張る」「怒られないならズルをする」というのは、条件付きの考え方です。
一方で、「人をだますことはしない」「約束は守る」というのは、条件がなくても守れるルールです。
カントは、後者のような行動こそが、本当に理性的だと考えました。それは、自分のためだけでなく、他の人にとっても成り立つルールだからです。
ビジネスと日常に生きるカント哲学

「正しさ」がブレない理由
前編と後編を通して見ると、カント哲学はとても現実的です。
世界のすべてを理解しようとはしません。その代わり、自分が理解できる範囲で、誠実に考え、行動することを大切にします。
これは、ビジネスや日常生活にも、そのまま当てはまります。
目先の利益のためにルールを曲げると、一時的には得をするかもしれません。でも、その行動が広がったとき、社会全体は不安定になります。
「売れれば品質は多少落としてもいい」という考え方が当たり前になったら、誰も商品を信じなくなります。一方で、「本当に良いものを届ける」という考え方は、時間がかかっても信頼を積み重ねていきます。
科学と感覚のズレを受け入れる
私たちは、科学的に正しいことと、自分の感覚がズレる瞬間を何度も経験します。でも、どちらか一方を否定する必要はないんです。
カントの視点に立てば、そのズレはとても自然なものです。
感覚は人間が世界に触れる入り口で、科学は理性によって整理された結果です。どちらも、人間が世界を生きるために必要なものなんです。
大切なのは、そのズレを無理に消そうとせず、「人間はこういう存在なんだ」と理解することです。その理解があるからこそ、冷静に判断し、誠実に行動できるんですよね。
まとめ

カント哲学は、難しい言葉が多い一方で、考えていることはとても実践的です。
人間の理性には限界があります。でも、その限界を知ったうえで、どう生きるかを考えることはできるんです。
世界の見方が変わると、行動の軸も変わります。
感覚に振り回されず、科学を盲信せず、誰にとっても通用するルールを選ぶ。それが、カントの示した「考える力」の使い方です。
科学と感覚のズレに戸惑ったとき、この哲学を思い出してみてください。
考えられないことに悩むのではなく、考えられることに力を使う。その姿勢こそが、カント哲学のいちばんの贈り物なのかもしれませんよ?
【参考資料】
世界のエリートが学んでいる 教養書必読100冊を1冊にまとめてみた(KADOKAWAオフィシャルサイト)
あわせて読みたい記事
※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」の哲太が執筆しました













