ヒュームの「感想の哲学」が現代に刺さる理由

こんにちは。最近、哲学に興味を持ち始めた哲太です。「それって言う必要がありますか?」が口癖のくせ者です。


前回の前編でヒュームは、「それはあなたの感想ですよね?」という一言で、私たちの「当たり前」をそっと揺らしました。炎が熱いのも、太陽が東から昇るのも、よく考えてみれば「いつもそうだったから」という理由で信じているだけかもしれない――そんな気づきは、300年前の哲学とは思えないほど鋭いものです。

「それはあなたの感想ですよね」から始めるヒューム哲学入門

こんにちは。最近、哲学に興味を持ち始めた哲太です。「それって言う必要がありますか?」が口癖のくせ者です 「それって、あなたの感想ですよね?」 この一言を向けられ…



では、どうしてヒュームの考えは、今の時代にも強く響くのでしょうか。
どうして私たちは、いま改めて「感想の哲学」に耳を傾ける必要があるのでしょうか。


これからの後編では、ヒュームの問いにカントがどう答えたのか、
そしてAIの時代に私たちが何を学ぶべきなのかを、やさしくひも解いていきます。


前回のまとめ

ヒュームは「世界の因果関係は、経験がつくった『感想の積み重ね』にすぎない」と考えました。
つまり、私たちが「絶対」だと思い込んでいることは、
実は「よく似た出来事が続いてきたからそう思っているだけ」かもしれないんです。


その視点が、現代の科学にもAIにも深くつながっていきます。


カントはなぜ「感想だけでは世界を説明できない」と考えたのか?

ヒュームの考えにいちばん強く驚いたのが、ドイツの哲学者カントでした。


彼はヒュームの本を読んだあと、「独断論的まどろみから覚めた」と書き残しています。
少しむずかしい言い方ですが、意味はとてもシンプルです。「自分は『わかったつもり』でいたけれど、ヒュームに揺さぶられて、はっと目が覚めた」ということです。


カントはこう考えました。
「もし、すべてが【感想】だと言われてしまったら、科学はどうやって成り立つのだろう?」と。


たしかにヒュームが言うように、私たちが見える世界は経験の寄せ集めです。でも、それだけでは世界のしくみを説明するには足りません。カントは、そこにもう一つ「見えない仕組み」があるのではないかと考え始めました。


そのときカントが思いついたのが、「人間の頭には、世界を受け取るための『特別なレンズ』がある」という考え方です。まるで、誰もが生まれたときから眼鏡をかけていて、そのレンズを通して世界が見えているようなイメージです。


たとえば、あなたが透明な色のついた眼鏡をかけているとします。レンズが青なら、世界は少し青っぽく見えますよね? でも、青い世界が「本物」なわけではありません。あなたの眼鏡に色がついているから、世界がそう見えているだけなんです。


カントはこのたとえを使って、「因果関係も世界の外にあるものではなく、人間が世界を見るときに使っている『頭のレンズ』なんだ」と説明しました。つまり、私たちは世界の中に因果関係を「発見している」のではなく、「頭の仕組みによってそう見えている」んだということです。


そしてカントは気づきました。「もし、人によってレンズがバラバラだったら、科学はどこにもたどり着かない」と。


だからこそ、科学が成立するためには、すべての人間が共通して使っている「認識のルール」が必要なのだと考えたのです。


ヒュームは「因果関係は感想みたいなもの」と言いました。


カントは「たしかにそう見える。でも、その『見え方』には人間に共通したルールがある」と返したんです。


この二人の考えは、一見反対のようでいて、実は深いところでつながってるんですよね。ヒュームが「揺らした」世界を、カントは「立て直そう」としたんです。


AIは「大量の感想パターン」から学ぶだけ? ヒュームの指摘と現代の壁

AIと聞くと「なんでも予測できるすごい機械」というイメージを持つ人が多いかもしれません。でも、その仕組みをよく見ると、じつはとても「人間らしいクセ」を引きずっています。AIは、ものすごい量のデータを集め、その中から「よく似ているパターン」を見つけることで学んでいるからです。


このデータというのは、過去に起きた出来事、つまり「人間が感じ、判断し、記録してきたことの集まり」です。言い換えると、AIは「大量の人間の感想の束」から、次に起きそうな形を推測しているだけなのです。


ここで思い出したいのが、ヒュームの言葉です。


「因果関係は100%ではない」という指摘は、AIの弱点そのものに重なっていきます。もしAIがどれほどたくさんの経験を学んだとしても、それは「今まで起きたこと」のパターンにすぎません。そして、ヒュームが言ったように、「いつも同じように起きる」というのは絶対の約束ではありません。


たとえば、AIに「白鳥は何色?」と尋ねると、多くの白い白鳥のデータを見ているので「白です」と答えるでしょう。でも、オーストラリアに行けば黒い白鳥が見つかります。この「想定外の黒い白鳥」の出来事を、世界では「ブラックスワン」と呼びます。


ブラックスワンは、たった一回の出来事で、これまでの「当たり前」をひっくり返します。白鳥は白い、という考えも、黒い白鳥が一羽見つかった瞬間に崩れます。


それはAIも同じです。見たことのない出来事が突然起これば、その瞬間に判断が狂ってしまいます。なぜならAIは、「未来を100%当てる機械」ではなく、「過去の感想の延長線を予測する仕組み」でしかないからです。


ここで、ジューディア・パールという研究者を紹介します。彼は「因果推論」という考え方を発展させ、「ただのパターン」ではなく「本当に原因と結果があるのか」を見極めるための方法をつくりました。これはAIの世界でも重要な前進ですが、それでも「未知の出来事」を完全に予測できるわけではありません。


こうしてみると、ヒュームが300年前に語ったことが、今まさに目の前で起きているように感じられます。AIがどれだけ進化しても、過去の感想に引きずられ、想定外に弱く、未来を100%読むことはできない。


つまり、私たちがAIに過剰な期待を抱いてしまうのは、「これまで何度も当たってきたから、これからも当たるだろう」と思い込む「感想の習慣」そのものなんです。


だからヒュームの哲学は、現代でも強く刺さります。「その因果関係、本当に事実なの? それとも、ただの感想なの?」という問いは、AIにも、人間にも、そのまま当てはまるからです。


まとめ

ヒュームが伝えたかったのは、「私たちが信じている世界は、思った以上に『感想の積み重ね』でできている」ということでした。炎が熱いと思うのも、太陽が毎朝同じ場所から昇ると思うのも、ただ「これまでずっとそうだったから」という理由で信じているだけかもしれません。


この気づきは、科学の考え方を揺らすほど強く、AIの弱点にもそのままつながります。


どれだけ優秀なAIでも、過去のデータをもとに「そうなりやすい」未来を予測しているだけで、本当の意味で未来そのものを見ているわけではありません。


そんなヒュームの考えに向き合ったカントは、「感想だけでは科学は成り立たない」と考えました。だからこそ、人が世界を見るときに共通で使っている「レンズ」のようなものを探したのです。誰もが同じ見え方をできるようにするための、認識のルールをはっきりさせようとしたのです。


一方で現代のAIは、ヒュームの問いかけ――


「その因果関係、本当に事実? それとも感想?」


という問題を、いまも避けることができません。AIがどれだけ進化しても、「知らない出来事」を前もって完全に予測することはできないからです。


だからこそ、ヒュームの哲学は今の時代にこそ響きます。


未来を完璧に知ることはできなくても、「まず疑ってみる」「本当にそうなのか考えてみる」という姿勢が、よりよく理解するための出発点になるからです。


AIが活躍する今の世界で、300年前の問いがいちばんリアルに感じられる。それが、ヒュームの「感想の哲学」が現代に刺さり続ける理由なんですよね。


【参考資料】
「世界のエリートが学んでいる 教養書必読100冊を1冊にまとめてみた」(KADOKAWAオフィシャルサイト)


あわせて読みたい記事

※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所ほまれの家横浜」の哲太が執筆しました。