ほまれの家横浜はこんなところにあります~2~
皆さんこんにちは。
ほまれの家横浜の職員、ホシです。
四月に入り暖かい日も多くなってきましたね。
横浜市内はあちらこちらで春の訪れを告げる花が咲き、外を歩くのが楽しい季節になりました。
私は毎日自転車で通勤しているのですが、通勤途中にある横浜公園はチューリップが今ちょうど見頃で、近隣の住民やオフィスで働く人たちの憩いの場となっています。
というわけで、今回はみなさんご存じDeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアムのある「横浜公園」をご紹介していきたいと思います。
イベントも多く開催される横浜スタジアム
皆さん「横浜公園」と聞いて、どこのことかパッと思い浮かびますでしょうか?
おそらくどこにそんな公園があるのかわからない人も多いのではないでしょうか?
しかし、「横浜スタジアムのあるところ」といえば「あぁ、あそこね」と、わかる人も多いと思います。
つい先日オープン戦も開幕し、試合のある日にはにぎやかになる横浜スタジアムは、野球場としてだけではなく、様々なイベントも行われています。
アーティストのコンサート会場や、各種撮影、昨年行われた東京オリンピックではソフトボールの試合会場としても利用されていました。
横浜の歴史とともに発展した横浜公園
その、スタジアムを取り囲むようにある横浜公園は、横浜市内の公園としては山手公園の次に古く、横浜の歴史とともにその姿を変えてきました。
1859年。横浜開港に伴い外国人も多かったこの土地に、江戸の吉原遊郭と長崎の丸山遊郭を手本として作られた港崎遊郭(みよざきゆうかく)ができました。
大変賑わっていた花街でしたが、1867年、豚料理屋が火元となった大規模火災により消滅。
その後、在留外国人の生活環境改善を求めた条約に基づき、外国人と日本人の双方が利用できる公の遊園を設置することが定められました。
イギリス人技師ブラントンの設計のもと造営は進み、1876年、在留外国人と日本人双方が利用できる「彼我(ひが)公園」と呼ばれる公園が開園しました。
また、その後1923年に起こった関東大震災では約六万人がこの彼我公園に避難し、九死に一生を得たということで、その記念碑として噴水が建てられています。
こうして、横浜の様々な歴史に左右されながら、その姿を少しずつ変え、市民に愛される、のどかな公園となっていったのです。
市民に愛され老若男女が集う憩いの公園
現在の横浜公園は、スタジアムを囲むように大きな花壇が設置され、一面に植えられた約14万球のチューリップが毎年三月下旬から四月下旬にかけて市民の目を楽しませてくれています。
また、遊具のある場所では毎日子供たちがにぎわっており、お昼時は近隣オフィスで働く人たちが昼食をとっている姿も見られ、多くの人が集う憩いの公園となっています。
意外と知られていないのが「彼我庭園」と呼ばれる池のあるゾーンで、一歩踏み入れると、都会のド真ん中であることを忘れてしまうほど静かな一角があります。
大きな池にはカモや亀が悠々と泳いでおり、その池を取り囲むようにさまざまな植物が植えられ、四季を通して楽しめます。
門をくぐってすぐのところにある岩亀楼の灯篭は、震災や戦争を潜り抜けてきた貴重な文化財の一つです。
また、園内には横浜の公園には珍しい水琴窟(底に溜まった水面に落ちる水滴の音が空洞で共鳴し、琴の音に似た音を響かせる仕掛け)もあります。
ゆったりとした時の流れる都会のオアシス
一時はコロナ禍で人も少なく、さみしい公園でしたが、昨今またその賑わいを取り戻してきました。
鮮やかなチューリップはもう間もなく見頃になります。
もし、お近くに来た際には、感染対策を十分にして、是非桜とチューリップの競演を見にいらしてください。
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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」のホシが執筆しました。