ほまれの家横浜はこんなところにあります~3~
皆さんこんにちは。
ほまれの家横浜の職員、ホシです。
五月に入り、新年度から新生活がはじまった方も、そろそろ慣れてきたころではないでしょうか?
関東では桜の季節も終わり街路樹の新芽が芽吹き始めました。
以前お話した通り、私は自転車で通勤しているのですが、道中少し遠回りしてでも、気持ちのいい風景を見ながら通いたいと思い、大きな公園のある通りを通っています。
今回はその通勤途中にある公園の一つ「山下公園」についてお話しします。
関東大震災の復興で生まれた山下公園
横浜市民には遠足やデートコースとして有名な山下公園は、映画やドラマ、CM、雑誌など、様々なメディアを通して、県外の人でも見たことがある人は多いと思います。
そんな、横浜市内の公園の中でおそらく一番有名な山下公園が、実はあの関東大震災の復興事業として、倒壊した建物などのがれきを海に埋め立てて作られた公園ということはあまり知られていないかもしれません。
1923年(大正12年)9月1日。相模湾を震源とし、東京や千葉など、関東近県に大規模な被害をもたらした関東大震災は、ここ横浜にも多大なる被害を及ぼしました。
お昼時だったことから大規模火災が起こり、そのうえ津波による被害も多く、その犠牲者は横浜だけで三万人以上だったといいます。
また、埋め立て地も多かったため、家屋の倒壊は東京以上にひどく、約一万六千棟が全壊しました。
その、街中にあふれるがれきの処理と、次の災害に備えた避難場所を作るという目的で復興事業が進み、1930年(昭和5年)に日本初の臨海公園として、山下公園は完成しました。
山下公園のシンボル「氷川丸」
およそ一キロにわたる長い公園内、元町側の海岸に黒いボディの船が係留しています。
今はもう沖に出ることはなく、博物館として公開されている「氷川丸」です。
この氷川丸は日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船で、戦争中は海軍特設病院船として活躍していました。
戦争当時、氷川丸は28回出動し、3万人以上の傷病兵を運び入れたといいます。
その後1960年に引退、山下公園に係留されてのち、横浜のシンボルとして愛されてきました。
現在では重要文化財に指定され、豪華な客室や船員の仕事場、歴史のわかる展示などが見られるようになっています。
海、花、緑。どこをとっても美しい景観
先にも述べたように、日本初の臨海公園ということもあり、山下公園といえば「海」というイメージが強いと思います。
しかし、公園内には様々なアート作品や、広い芝生、バラをはじめとする花々など、見どころが満載の公園です。
現在、横浜市内では「ガーデンネックレス横浜2022」というイベントが開催されています。
海に近い「みなとエリア」と、自然あふれる「里山エリア」の両方で開催される、花と緑のプロジェクトで、ここ山下公園では広い芝生にたくさんの造園作品が並び、休日などには様々なイベントも開催されています。
イベントで設置されている花とはまた別に、五月から夏にかけては公園内のあちらこちらで様々な品種、色のアジサイが咲き始めます。
そして、かつて船の風よけの船溜まりだった窪地を埋め立てて造られた「沈床花壇(ちんしょうかだん)」は「未来のローズガーデン」と呼ばれ、約330種、2200株のバラが来園者の目を楽しませてくれています。
また、山下公園前の海岸通りでは、約1キロにわたる銀杏並木が新緑の季節を迎え、こちらもとても美しい情景が眺められます。
自然あふれる山下公園には、童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子」の像や、在日インド人協会から寄贈された「インド水塔」、姉妹都市であるアメリカ・サンディエゴ市寄贈「水の守護神」は、公園中央に大きな噴水とともに飾られています。
このように海外との交流を感じさせる記念碑など、様々なアート作品もあふれています。
また、海上には横浜ベイブリッジや大桟橋に停泊する豪華な客船なども眺められ、海沿いのベンチにすわって眺める景色は都会の喧騒を忘れさせてくれます。
デートにも散歩にもおすすめ山下公園
山下公園の近隣には元町商店街や中華街、マリンタワー(現在休館中)、大桟橋など、見どころ満載なスポットがたくさんあります。
是非皆さんも、一年で一番過ごしやすい季節に、ゆっくりと散歩してみてはいかがでしょうか。
冬の間の寒さに負け、すっかりサボっていたウォーキングを再開しようかと思っているホシでした。
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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」のホシが執筆しました。