私が福祉関係の仕事に就いたきっかけ~美味いカルビに騙されて~
美味いカルビに騙されて
ホマレノタヌキ改め たぬきです
自分の進路を決めるにあたって福祉の仕事を志望したわけでもないし考えてもいなかった。
バブル景気が陰りを見せていた頃、大学を卒業し世間に放り出された。
いくつか内定はもらっていたが、遊び足らずすべて蹴って写真屋でアルバイトをしながら音楽活動もどきやクルマを乗り回して適当に楽しんでいた。
その後訪れる長期不況など想像もせずに遊びまくった20代も後半の頃、年貢の納め時がやってきた。
平成7年の夏、とあるきっかけで参加した福祉施設の夏のバーベキューに参加した。
そろそろ帰ろうかなと思った時、施設長から呼び止められ
「8月からうちの施設に入らない?」と誘われた。
てっきり入所させられるのだと思い、それまでの遊びの祟りかと観念して
「入所ですか?」と尋ねたところ
「いや(笑)職員で」と。
当初は腰かけ程度にしか考えていなかった。
まさか自分の仕事になるとはその時まったく考えていなかった。
平成7年8月1日、施設を訪ねた。
平成7年8月1日、施設を訪ねた。
重度の自閉症の方だけが入所する施設で早番遅番宿直ありの変則勤務。
さすがに無理だと思い、肉の美味しさに安請け合いしてしまったことを後悔した。
バイトを辞めてしまったからには仕方ない、しばらく様子を見るかと勤めることにした。
1年目から仕事と研修勉強漬け。
とにかく日々の日課をこなすだけで精一杯だった。
盆と正月は勉強会。
土曜の午後はケース会議。
知識の叩き込みと身体を張っての実践。
2年目以降は自分なりに支援に関する疑問や怒りを施設長によくぶつけたものだ。
その都度施設長は自分の疑問に対し自分のレベルに合わせた解を出してくれた。
大切なことは
「易しく・分かりやすく・丁寧に」支援すること。
どんな時もこれを諭された。
不思議なもので、寝食共にしていると何となくかかわり方が見えてくる。
いることが当たり前と感じるようになる。
自閉症って障害なのだろうか。
自閉症って障害なのだろうか。
生きにくさというけれど、社会が彼らを生きにくくしているのであり、社会は彼らの思いの何か一つでも受け入れているのだろうか…などと、当時若いなりに青臭い想いを感じていた。
何か物足りなくて、もっと知りたく勉強したくなり約5年でこの施設を後にしてから、障害者支援に関する仕事を渡り歩くことになるのだが、この施設での経験がまさかその後の自分の仕事となるとは当時考えてもいなかった。
くどいようだが、本当にここまで障害者支援の仕事が続くとは思わなかった。
時は過ぎ、令和4年の今「ブログの原稿、早めにお願いします」と急かされながらも当時のことを思い出すとつい目線が遠くなる。
当時の研修資料を押し入れから引っ張り出して読み返すと、あの時の同僚や利用者さんたちのことを思い出す。
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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」のたぬきが執筆しました。