「20代の頃」のつづき
今週はQちゃんです。
昨年12月に20代の頃の話をしましたが、今日は、その続きです。
参考:20代の頃
アリコジャパンの営業社員に26歳で入社したわけですが
アリコジャパンの営業社員に26歳で入社したわけですが、その際に、「営業社員と内勤社員のどちらでも受け入れる準備があります。どうしますか」と、問われました。
説明も受けたのですが、世間知らずの私には今一つ意味が良く分かりません。
覚えているのは、「(安い?)固定給料をもらうのが良いか、働いたら働いただけ稼げるのが良いかの違いですよ」と言われ、固定給料の額も聞かずに営業を選びました。
前回話した「この人の下でなら働きたい」の「この人」は営業職だったのと、「働いたら働いただけ稼げる」のならば、塾時代のように毎日14時間働けば相当稼げるのだろうというイメージでした。
というわけで営業職として入社し、初月の11月は研修です。
研修の前半は考え方とか知識が中心で、4人の同期と学校みたいにとても楽しく過ごしました。
自分以外の3人は年上30代で、かわいがって頂いたのも良く覚えています。
ただ、研修後半に入って、「Qちゃんさんはどの様に活動しますか?」と問われたあたりから雲行きが怪しくなっきたのです。
「どのように活動?」
と言われてもそれを教わるのが研修だろうという感覚です。
それと、生命保険という商品が26歳の自分には必要性が今ひとつ理解できず、自分が亡くなったらお金が出るなんて誰が加入したがるのだろう? というレベルの認識でした。
営業に行く先を指示してもらえるのだとも勘違いしていました。
保険会社の営業というのは自分でお客様を開拓して契約を頂くことが仕事です。
「お客様の開拓」が肝で、それが出来なければ働いたことにならないのです。
そしていよいよ、研修期間が過ぎて、12月になりました
そしていよいよ、研修期間が過ぎて、12月になりました。
営業開始です。
自分が扱う商品(生命保険)にも疑問を持ち、さらに、どう活動すればいいかイメージが沸かない状況です。
上手く行くはずがありません。
働けば働くだけ稼げると言われても、どう働けば良いかが分からない。
唯一やった事は、上司の勧めで、友人に転職の挨拶状を送りそこから営業活動を開始するということです。
ただ、正直にいうと大きな抵抗感がありました。
急にこんなのを送られてきてどう思うだろう?という心配でした。(多くの友人は受け入れてくれましたが・・・)
最初の3ヶ月は友人周りをしましたが、それはすぐに一巡すると分かっていたので、時間が経つに連れ、焦りが増大していきます。
すぐに行くところがなくなり、やみくもに飛び込み営業を始めました。
一般のマンションや一軒家に行ってピンポンを押すのです。
どれほど恐怖だったか想像つきますかね?(笑)
だけどそれを乗り越えなければという想いしかなかったです。
でも、そんなので結果が出る訳がありません。
辛くて辛くて3ヶ月ぐらいが過ぎたころには・・・
「いよいよ行くところが無い・・・」
朝礼が終わると、先輩たちは「行ってきまーす」と言って営業に出ていきます。
自分は行く当てがないので、どうしようかと考えます。
ただ、考えても、考えてもいい方法は思い浮かびません。
商品パンフレットや新聞を読むふりをしていると、そのうち事務所は上司と事務クラークしか居なくなります。
いたたまれなくなって、小さい声で「行ってきまーす」と出ていくのですが、当然行き先がありません。
喫茶店で時間をつぶすという発想もなく、お金もありませんでした。
仕方がないので定期で各駅に乗って、三崎口までを何往復かして、夕方帰ってくるというような事もしていました。
そんなこんなで約半年近く過ごしたころ
そんなこんなで約半年近く過ごしたころ、「新人につく手当」があったのですが、成績が悪すぎてもらえなくなってしまいました。
ただでさえ低い給料が更に半分ぐらいになり、いよいよ生活ができる金額ではなくなってしまったのです。
当時は最低賃金の規定も適当で完全に下回っていたと思います。
どうしようか・・・途方に暮れるとはこのことです。
長くなったので続きは次回と致します。(ええっまた? 笑)
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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」のQちゃんが執筆しました。