「20代の頃」その3

ほまれの家横浜のQちゃんです。

前回のブログは1月ぐらいでしたかね?
今回はその続きです。

【参考】
20代の頃

「20代の頃」のつづき

歩合給の生命保険営業で成績が上がらず、いよいよ途方に暮れてしまったところからです。

八方ふさがりとはこのことで

八方ふさがりとはこのことで、どうすれば打開できるか全く分かりませんでした。

商店街に行って飛び込み営業をやってみたり、一般の戸建てやマンションを一軒一軒回ってみたりしましたが、まったくだめでした。
たまに話を聞いてくれる方もいましたが、自信なげに話をしても全く相手にされないのも当然でした。

卒業した大学の同窓会名簿を使って連絡してみようと思い、名簿を持っていなかったので事務局にコピーをさせてもらいにいきました。
全ページをコピーするつもりでしたが、途中で止められ、目的を聞かれ、保険の営業なんて迷惑だと罵られ・・・。

いくらでも努力する覚悟はあったのですが、どの方向に努力すればいいのかが分からず、思考が停止しているような感じでした。
とにかく、自分に自信が持てなくなっていました。

そんな時にオフィスの先輩が、成績の良い人だけが受講できる会社の上級研修から戻ってきました。
そして、そこで習ってきた電話営業を始めました。

いわゆるテレアポという営業手法です。

上級という割には原始的なのですが、そこにノウハウがあったようで、アポを取って面談まで漕ぎつけているのを見て、とにかく自分も、「見様、見真似」でやってみることにしました。

ネタは電話帳です。

当時、黄色いタウンワークという分厚い電話帳があって、横浜市は北版と南版の2冊でした。
その中から、ある業種に絞って電話をかけまくるというやり方です。

先輩に頼んでスクリプトを見せてもらい、自分なりに作成しました。
スクリプトというのは、電話で話をする際の展開をシナリオにしておいて、話すときの参考にするものです。

さてさて、始めたところ、・・・やっぱりまったくダメでした(笑)

ただ、諦めずに(というより他にやることもないので)やっているうちに、なんとなく反応のあるところが出てきて、わずかな手ごたえを感じ始めました。
といっても「資料送っといて」とか「そのうち検討する」といったレベルですが、いわゆる「けんもほろろ」でなく会話が一応できるというだけで人として認めてもらえた感じがしました。

そうこうしているうちに、興味の度合いは別にして、アポイントが偶然に取れることもありました。
ただ、行っても「なんだっけ?」という感じの反応で、心が折れて帰ってくるというのが日常でした。

正直一つ一つが怖かったです。その気持ちを抑えて電話をしたり訪問したりの繰り返しでした。

それでも、次はこんな話をしてみようとか、こんな話し方をしてみようとか、声のトーンは? とか、試行錯誤を繰り返していくうちに段々いい感じで商談として成り立っていきました。

やはり試行錯誤をする中で、気づきを得るということがあるのです。

一般的に営業の心得などで、「できると信じてやる」などと言いますが、私の場合は、これしかやることが無く、お金は底を尽き、よからぬ借金もして、「結果が出なければ終わり」という感覚でした。

ただ、結果はなかなか出ないまでも、それに近づいている感じを持つにつれて希望が湧いてきたことは覚えています。

横道にそれますが

横道にそれますが、テレアポが上手く行く法則があります。

それは、「電話を掛けさせてもらって有難い」「出てもらえて有難い」「対応して頂いて有難い」という感謝の気持ちで臨むことです。

住宅の営業などの電話が良くかかってきますが、ニーズが顕在的ではっきりしているので興味のある人は話を聞きます。

生命保険営業はそうはいきません。

ごくまれに丁度保険に入ろうと思っていたという人に電話が繋がることもゼロではないですが、生命保険のニーズは潜在的なので、電話が来ても迷惑と感じる方が大半です。

その潜在的なニーズを引き出すには、まずは自分の真面目さや誠実さが伝わらない限り相手にはしてもらえないのです。

その根幹にあるのは感謝の気持ちです。もちろんタイミングや相性もありますが、前提として理屈でなく好印象として伝わった時に初めて話を聞いて頂けるのです。

この法則はテレアポに限ったことでないのは言うまでもありませんが。

さてさて話を戻します。

テレアポを始めて2ヶ月ぐらい経った頃、何度も何度も訪問して、始めての契約を取ることができました。
テレアポを教えてくれた先輩は1ヶ月程でやめていました。

こんな苦しいことをしなくても成績が挙がるのだから当然かもしれません。

実際、効率を考えると2ヶ月努力してようやく1件の契約が取れるというのは仕事としてどうかと思いますよね。
ただ、この一件の成功が自分に自信を持たせることとなり、その後の快進撃? に繋がります。

「?」が付くのは自分では快進撃でしたが、傍から見ると「少しは成績上げられるようになったね」程度のものだったからです。

そして、数ヶ月が経ち、入社から数えると1年近くになってきた頃、最下位争いから徐々に抜け出すことができました。

最下位争いを抜け出せたのは

最下位争いを抜け出せたのは、テレアポという一つの事を継続したことが最大の理由ですが、実はもう一つ理由があります。

それは、先輩に頭を下げてお願いをして、面談に同行をしてもらった事です。

テレアポをしていた方とは別の方ですが、営業経験が豊富で実力のある方だったので大変に多くのことを教わりました。

ただ、同行した案件はすべて成績も折半するという約束で、その先輩としても労せずして商談に漕ぎつけるのは大きなメリットだったと思います。

保険営業は商談の席についてもらうまでが難しいからです。

仕事をやる上ではwin-winの状況が前提ですが、人の力を借りるということも大切なことのようです。

蛇足ですが、パワーパートナーという概念があります。
それを理屈で学んだのは30代になってからのことです。

そんなこんなでテレアポ営業という力技で保険営業の道を歩いていくことになります。

20代が終わる頃には中の上ぐらいの成績だったと思います。

ただ、電話帳から成績が挙げられる人はオフィスには自分以外に誰もいませんでした。
些細なことですが、ちょっとだけ自慢です(笑)

今回のブログはここまでと致します。

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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所ほまれの家横浜」のQちゃんが執筆しました。