20代の頃
今週はQちゃんです。
人生を振り返った時に、調子の良い時期もあれば、苦難の時期もあり、誰しも波乱万丈な人生を送っているものですが、私の人生における、一番の苦境は20代でした。
今日はその話をさせて頂きます。
学生時代から学習塾の講師として働いていました
学生時代から学習塾の講師として働いていました。
最初、週2回、夜の3時間ぐらいから始めましたが、段々仕事が面白くなり、熱心に働くので、講師だけでなく運営面でもどんどん仕事を依頼され、1年もすると週5~6日働くようになりました。
運営面というのは宣伝のチラシを作ったり、夏期講習などの計画や人員配置を一緒に考えたりといった仕事です。
大学に行った後、夕方15~17時ぐらいには塾に行き、夜中の12時を過ぎて帰るというような生活でした。
この時には他の学生とは違って一足早く、半分社会に出ているような誇らしい?気持ちがありました。
とにかくやりがいがありました。
その後、そのまま塾の講師として働くようになるのですが、専任になってからの最後の三年間は年間355日、14時間ぐらい働いていたのを覚えています。
夏期講習等の際には8時に出社して夜中の12時を過ぎることも多々あり「倒れるかも」と思った事もありました。
20代の前半で体力もあったので何とかなったのでしょうが、今から考えると無茶をしていたものです。
後に「ブラック企業で働いていた」と言ったりしていましたが、よくよく考えてみると自分で選んでそのようにしていただけだと今では思っています。
大変でも充実した日々を送っていたと思います。
ただ、25歳になった頃、学生時代の延長のような現状に魅力がなくなり、また、心身ともに疲弊している自分にも気が付きました。
友人が社会に出て働いている話を聞くと自分が狭い世界に閉じこもっているようにも感じてしまいました。
毎日が苦痛になってしまいさらにどんどん心は疲弊していきました。
そして、その年の受験時期が終わると共に、退職をさせて頂きたいと申し出ました。
理性的な考えではなくとにかく飛び出したいという衝動が強かったです。
その後、半年ぐらいは、書道教室に行くなどして自由にしていました。
塾時代の給料は安かったですが、使う事も無かったので貯金が残り、なんとかなりました。
人は何のために生きているのか?
時間があるので、この時期に人生の意義というのを良く考えました。
人は何のために生きているのか?
人生とは何か?
というようなことです。
この時に気が付いたのは、「人は幸せを求めて生きている」という単純なことです。
そして、人生に意味などなく、意味は自分で自由に付けて良い、ということです。
本当の意味で主体的に生きていく考え方が20代後半に入るころにようやく身に付いたのかもしれません。
それと、身近な人の幸せに貢献することが自分の幸せにつながるということも悟りました。
さて、気づきを得たのはいいですが、お金が無くなりました。
働かなくてはなりません。
当時Bingという就職情報誌がありました。
興味のある所を片っぱしから問い合わせて面接にいきました。
学習塾も行きましたし、教材販売の営業、水泳のインストラクター、タクシーの運転手、先物取引の会社(怪しかった)、・・・とにかく世間知らずだったのでこの際いろんな業種に行ってみようと思い就職活動をしました。
そんな中、アリコジャパンという保険会社に出会いました。
他が面接1回だけで合否を決めるなか、最低3回は面接がありますと言われ、逆に安心感があったのを覚えています。
2回目の面接官が後に上司となる方なのですが、話したことをすごいスピードでメモを取り、主旨も正確に捉えている姿を見て、なんて優秀な人なんだろうと感じました。
この人の下で仕事をやりたいと直感が働きました。
そして希望がかなってアリコジャパンの営業職として26歳の11月に働き始めることとなりました。
ただ、これが人生一番の苦境の始まりだったのです。
本題はここからなのですが、長くなったので(笑)続きは次の機会に。
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※このブログは、神奈川県横浜市にある就労継続支援A型事業所「ほまれの家横浜」のQちゃんが執筆しました。